2016年御翼9月号その4

                                         

エルヴィスの生家、育った教会を訪れて

 

 酒を飲まなかったエルヴィスは、世界の人々にキリストにある平和を願っていた。だからゴスペルを歌っていた。その遺志を伝えるため、生家と彼が育った教会が保存され、博物館となっている。
 エルヴィスが育った素朴な教会では、スクリーンが三面、プロジェクターと共に降りてきて、当時の礼拝の様子が素晴らしい映像と音響で再現される。その中で、役者が演じる11歳のエルヴィスが「主われを愛す」を会衆の前で歌う場面が映し出される。
 さびれた小屋がどうして実際にエルヴィスの生家だと分かったのか。そして、どうして博物館として広大な土地が与えられているのだろうか。エルヴィスが有名になった21歳、22歳のときに、故郷テューペロのカウンティーフェアでコンサートをした。そのときに、彼自身が生家に立ち寄ったという。その家には、やはり貧しい家族が暮らしていた。エルヴィスは、市に掛け合い、故郷での2回のコンサートの収益をすべて市に寄付するから、自分の生家を含む15エーカーの土地を市で買い上げ、公園にしてほしいと提案し、市はそれを受け入れた。エルヴィスが住んでいたテューペロの東部(線路の東側)は、極貧の人たちが住む場所で、子どもたちが遊ぶ公園などなかった。線路の反対側には、比較的裕福な人たちが住んでおり、公園があった。エルヴィスは自分の生まれた地域の子どもたちに、公園を作ってあげたいと思ったのだ。公園用地として市が買い取った土地が、現在、エルヴィスの生家、教会を保存する博物館(池を含む、芝生の公園になっている)となった。エルヴィスの生家に住んでいた一家は、暮らし向きがよくなってより良い場所に引っ越すまで、家賃も取らずに住まわせてあげたという。エルヴィスらしい話である。
 貧しい地域の子供たちのために公園を、と思った21歳のエルヴィスの発想が、彼自身を記念する博物館として用いられるようになった。エルヴィスを誹謗中傷する者たちの声は静まり、次々と彼の、謙遜なクリスチャンとしての姿が明らかになっている。地上の悪は裁かれ、悔い改める者が報われるのだ。

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